2018年6月10日礼拝メッセージ「アーメン=ホンマそれ!」

イザヤ44:21-22、IIコリント1:18-22、マルコ2:13-17

 今日の聖書の箇所の人物も生涯をイエス様に捧げた人物でありました。それはレビという人物、またの名をマタイと言います。新約聖書のマタイの福音書を執筆した人物が今日出てきたレビ、マタイです。レビは、イエス様の呼びかけにすぐに応えてついて行きました。そして、それから主の弟子として生涯をイエス様のために捧げていくのです。レビが、主の弟子として従い、生涯を主に捧げたのは、彼が偉かったからではありません。彼は自分が罪人であり、救いが必要であるということを知っていました。そしてこのイエス様に自分が招かれたからこそ、彼は生涯を主に従うことができたのです。

 私たちも、足らないもの、救いが必要なものです。イエス様はこの私を救うためにこの地にこられたのです。そして、私たちのすべての罪をその身に受けてこの十字架で身代わりに死んでくださいました。私たちはこの主を信じる信仰によって、主の命に生きるものとされるのです。

 私たちはお祈りの最後にいつも「アーメン」と唱えます。それは、「そうです。その通りです」という意味です。ある人がアーメンは関西弁でいうと「ほんまそれ!」だと言っていました。私たちが罪赦され、こうして召されていることは「アーメン!ほんまそれ!」と言えることです。レビが喜びのあまり主に従い、生涯を主に捧げたように、私たちもそれぞれの場にあって主の喜びを表し「アーメン!ほんまそれ!」と告白していきましょう。

マルコによる福音書
2:13イエスは、再び湖のほとりに出て行かれた。群衆が皆そばに集まって来たので、イエスは教えられた。 
2:14そして通りがかりに、アルファイの子レビが収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
2:15 イエスがレビの家で食事の席に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。実に大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。
2:16 ファリサイ派の律法学者は、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを見て、弟子たちに、「どうして彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 
2:17 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 

2018年6月3日「その手があったか!?」

聖書箇所:マルコ2:1−12、Iコリント9:24−27

マルコの福音書2章、この箇所はイエス様が中風の人に出会いそのかたを癒されたという箇所です。中風とは脳出血などによって起こる、半身不随、手足のまひなどの病気でした。この人は中風によって全く動けない、寝たきりの状態でした。彼は四人の友達によってイエス様のところにやってきました。家がいっぱいでなかなかイエス様の元に近づけなかった4人の友だちは、天井を崩して屋根からその人を吊るしてイエス様の元へと連れて行きました。まさに「その手があったか!?」と思うようなやり方でした。

 しかし、実はイエス様もこのとき少し不思議に思える行動をされたのです。それは、中風の人の罪を赦されたという点です。きっとこの中風の人は、体を治してほしかったと思います。しかし、イエス様はここで「あなたの罪は赦される」と語ったのでした。イエス様はここでなぜ罪の赦しを宣言されたのでしょう。それは、私たちの本当の問題がなんなのかをはっきりするためでした。

私たちが抱える1番の問題は罪です。そして病気やけがなども罪の結果であると聖書は語っています。もし、このとき中風の人をすぐに癒していたらどうだったでしょうか。きっとこの人は中風が治ったということだけに心を向け、自分の罪やそれを救ってくださったイエス様に目を向けることができなかったのではないかと思うのです。

 私たちはまず罪を赦していただければならないのです。そして、イエス様はまさにその罪を赦すためにこの地に来られたのでした。その救いが十字架です。イエス様は私たちのすべての罪をその身に背負い、十字架にかかられました。この十字架の死があるからこそ、わたしたちは「あなたの罪は赦された」と宣言されるのです。

マルコによる福音書
2:1数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、
2:2大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、
2:3四人の男が中風の人を運んで来た。
2:4しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。
2:5イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。
2:6ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。
2:7「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
2:8イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。
2:9中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
2:10人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。
2:11「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」
2:12その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。

2018年5月27日「神様は三人で一人?」

聖書箇所:イザヤ6:1-8、ローマ8:14-17、ヨハネ3:1-12

 

 

 

今日は教会の暦で三位一体主日と言われる日になっております。三位一体とは、私たちの信じている神様は父なる神様、御子イエス様、聖霊様という三人で一人のお方だということです。なかなか理解しにくいことかもしれませんが、今日はその三人で一人なる神様について覚える日になっています。

人は死んだらどうなってしまうのだろうかという疑問は誰しも持つものではないでしょうか。イエス様はその答えとして、「新しく生まれなければ神の国を見ることはできない」と語っています。

では、「新しく生まれる」とはいったいどういうことでしょうか。イエス様は「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」と語られました。「水と霊によって生まれる」とはイエス様を信じて受ける洗礼について語られています。洗礼は私たちが罪に死に、そしてイエス様の命に生きることを意味しています。私たちは洗礼によってイエス様の復活の命が与えられ、神様の子どもとして歩むことが出来るのです。

この救いが三位一体なる神様によって私たちに与えられているのです。私たちはイエス様を信じる信仰によって洗礼を受けます。そして、私たちを神の子とする聖霊様が与えられて、はじめて父なる神様を「アッバ、父よ」(お父ちゃん)と呼ぶことが出来るのです。その聖なる、聖なる、聖なる万軍の主をほめたたえ、賛美する一週間といたしましょう。

  • 1:ヨハネによる福音書/ 03章 01節さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。 
  • 2:ヨハネによる福音書/ 03章 02節ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」 
  • 3:ヨハネによる福音書/ 03章 03節イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 
  • 4:ヨハネによる福音書/ 03章 04節ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 
  • 5:ヨハネによる福音書/ 03章 05節イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 
  • 6:ヨハネによる福音書/ 03章 06節肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。 
  • 7:ヨハネによる福音書/ 03章 07節『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。 
  • 8:ヨハネによる福音書/ 03章 08節風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」 
  • 9:ヨハネによる福音書/ 03章 09節するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。 
  • 10:ヨハネによる福音書/ 03章 10節イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。 
  • 11:ヨハネによる福音書/ 03章 11節はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。 
  • 12:ヨハネによる福音書/ 03章 12節わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。 

聖書について

聖書とは何ですか?

「バイブル(聖書)」ということばは、ラテン語とギリシャ語の「本」という意味のことばから来ています。聖書は66巻の書物から成り立っています。およそ40人の人間の別々の著者が貢献して、約1500年に渡って書かれました。聖書は神様からのラブレターと言われています。聖書は私たちへの愛のメッセージが語られている本です。