そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。 (使徒16:23)
皆さんは何か理不尽に感じられることを経験したことはあるでしょうか。うちの奥さんは、先日草刈りのときに自分だけ蚊に刺されることを理不尽だと嘆いていました。それくらいのことならまだ我慢できそうですが、自分に余裕がなくなったとき、理不尽なことがあると私たちはどうしようもない気持ちになるのではないでしょうか。
今日の箇所のパウロという人物もこの上ない理不尽を経験しました。不当な訴えで逮捕され、むち打ちを受け、投獄されてしまったのです。今にも文句を言いたくなるような状況の中、彼らは足枷につながれながら、神を賛美し、祈っていたのでした。
彼らはどうして、理不尽な状況の中、それでも神を見上げることができたでしょうか。それは、一番の理不尽を経験されたイエスキリストを知っていたからでした。イエス様は、私たちを救うために、すべての人の罪をその身に受け、十字架で死なれました。もっとも最悪な理不尽を十字架の上で受けられたのです。
この主を彼らは信じていました。だから、どんな状況の中にあっても、神がともにいてくださり、その苦しみを負ってくださることを彼らは知っていたのでした。
私たちの理不尽の中にも、イエスキリストはともにいてくださいます。そして、あなたの理不尽を代わりに担ってくださるのです。理不尽なときこそ、この主に信頼していきましょう。