「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(使徒3:6)
「虎の威を借る狐」ということわざをご存知でしょうか。「権力者の威勢を借りて威張ること」であり、あまり良い意味では用いられていません。
虎が狐を捕まえ、これを食べようとしました。狐は「あなたは私を食べるわけにはいきませんよ。なぜなら私こそ百獣の王なのですから。私のあとについてきてみてください。百獣たちは私を見てみな逃げていってしまう」と言いました。虎は狐とともに歩いていきました。百獣はその様子を見てみな次々に逃げ去っていきます。しかし虎は自分を恐れて逃げていくことに気づかず、狐を恐れて逃げていくのだと勘違いしたのです。このような話がこのことわざの元になっています。
今日のみ言葉では「私には金や銀はない、、、イエス・キリストの名によって」と語られています。彼が持っていたものは、イエス様への信仰のみであったのです。それは彼が偉かったとか、権威があったとか、そんなことは少しもありませんでした。
私たちも祈るとき、最後に「イエス様のお名前によってお祈りします」と祈ります。これは、「私には力がない。何ももっていない。神様の前に立つことすらできない。しかし、イエス様のお名前によって、私の祈りが天に届いている」ということなのです。
イエス様の十字架の救いによって、イエス様は私たちと神様との架け橋になってくださったのです。だからこそ、私たちはイエス様の名によって、自由にお祈りすることができるのです。私たちはまさにイエス様の威を借りて、自由にお祈りすることができるのです。