すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。 (コロサイ1:10)

「人に優しくすることは大切」そう誰しも思うでしょう。しかし、「どうして優しくすることが大切なのか」は案外、私たちは知らないのかもしれません。

 ある時、イエス様は「善いサマリア人」という例え話をされました。ある人が強盗に襲われてしまいました。何名かの人をその人っを見ても、見ぬ振りをして通りすぎて行ってしまいました。しかし、一人のサマリア人だけがこの人を助け、介抱したのです。しかし、実はサマリア人はこの国の人に差別を受けていた人々だったのです。それでも倒れている彼を見て、いても立ってもいられなくなり助けたのでした。献身的な愛の姿です。

 実は聖書ではここまでの犠牲的な愛を持って、私たちを愛してくださった方がおられると語っています。それがイエス・キリストです。イエス様は私を救うために十字架にかかって死なれました。私のために全てを捧げてくださったお方がイエス様なのです。それはまさに今日のサマリア人の姿でした。

 私たちが人を愛する理由も実はここにあります。私たちの自己正当化のためではない、道徳的に優れているからでもない。イエス様がまず私のために愛してくださったからです。神様の愛が私たちのうちに注がれているからこそ、私たちはこの愛をもって人を愛していくのです。