あながたはご存知でしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。(使徒10:37)

 

今日は「主の洗礼日」と言われる教会の祝祭日です。それはイエス様が洗礼を受けられたことを覚える日であり、私たちに洗礼が与えられているということを感謝する日です。

 私たちはなぜ洗礼を受けるのでしょうか?「信仰があれば洗礼はいらないのでは?」とときどき耳にします。しかし、私たちの感情はそんな確かなものではありません。どんなに堅い決心をして、信仰に入ったとしても、私たちの感情はやはり揺れ動いてしまいます。もし、私たちの感情に救いの土台を置くのならば、救いがとても不安定なものになってしまいます。洗礼というのは、そんな揺れ動いてしまう私たちのために主が備えてくださったものなのです。

 私たちが洗礼を受ける時、その洗礼を受けたという事実はどのような時でも決して消えることはありません。そして、その洗礼を通して、イエス様は救いを私たちに与えると言ってくださったのです。揺れ動いてしまう私たちが確かに救いを受け取ることができるようにと洗礼は用意されているのです。